確実に自分の好きなことは何かと聞かれると”音楽”と言える。音楽はすそ野が広い。老若男女問わず音楽に対して様々なアプローチをしている。それは単にジャンルが多い事だけではなく歌詞を聞く人、音質を聞く人、音像を聞く人、人柄で聞く人、その接し方、楽しみ方も様々である。
自分は気質が飽き性なためにそのような受け口の広い”音楽”というものに本当にはまった。この機にどのような遍歴を辿ってきたかここにまとめていく。自分語りである。ただ、ブログとはそういうものでいいらしい。その性質を今ここに利用する。
~12歳
音楽に対して何にも疑いのない頃であった。もっぱら外で遊ぶ。バスケットをしたり
空手をしたり水泳をしていた。意識的にこれを聞いていたなどはない。が思い出すとGreeeenだとかナルトや鋼の錬金術師の曲を聞いていた。今でも聞くと歌える。
スキマスイッチ / ゴールデンタイムラバー:SUKIMASWITCH / GOLDEN TIME RUBBER
スキマスイッチのこの曲を久しぶりに聞いたがかっこいい。
また親の影響からか家ではサザンとBon jobiとQueenが流れていた。特に音楽に何も思いはなかった。先ほど音楽に対して疑いのない、と書いたがこれからの未来に対しても疑っていなかった。そこには積極性も消極性でもなくただ今日を暮らしていた。ある意味で充実をしていたのかもしれない。
聞いていたアーティスト
ファンキーモンキーベイビーズ、Greeeen、YUI、サザンオールスターズ、Queen、Bon jobi、ナルトのop,edテーマ、等々
12歳~15歳
中学に入ると部活が忙しすぎてそれ以外には基本手が回らなかった。その中で家に合ったBump Of Chickenにドはまりした。本当にそれのみしか聞いていなかった。
BUMP OF CHICKEN「Stage of the ground」
Bump以外は何も聞いていなかった。CDに擦り切れるという概念はないが、頭がはち切れるほどに聞いた。一時期はあまり聞かなくなってしまったが、今ではたまに聞いている。カラオケでBumpの曲は歌いまくる。
ただ15歳も終わりのころ一日の間に付き合っていた子に振られ、第一希望の高校にも落ちた。今思えば人生のフックというか、階段の一段階なのだがその時は落ち込んだ。悲しい事だがこんなありきたりなことが自分の起点になったと後で考える。
些細である。そういうものだ。激烈なドラマは存在しない。小さなことに心を動く。小さなことと客観的に思えても主観でしか捉えられないからだ。2つの比率は100:0にはならない。その時は主観で生きていただけである。
聞いていたアーティスト
Bump Of Chicken、Radwinps、Kana-boon、Nothing's Carved In Stone、など
15歳~17歳
先ほどの小さいセンセーショナルな出来事のあと何故か趣味を探していた。音楽を聞くこともその一環であり、名前のカッコよさからPeople In The BoxやThe Band Apartを聞き始めた。タワーレコードに行ってドキドキしながら初めて買ったCDはpeopleの"Family Record"だった。
当時の3000円はものすごく高かった。別に新譜だったわけではないがなんとなくそれが欲しかったからだ。とんでもないものに手を出し始めたという予感はあったがもう戻れなくなっていた。先に進むというよりかは来た道が分からなくなっていた。そんなある時に音が見た。衝撃だった。そのアーティストはToeである。
[HQ] toe - 孤独の発明 ( Kodoku No Hatsumei)
この曲を聞いて今までの自身n概念の薄さに気づいた。クリエイティブさにはっきりと触れた。声がない分より洗練されていると感じた。周りの人でToeを聞いている人は誰もいなかった。それがより自分だけの世界、宝物に出会えた気がした。
このブログでまず初めにToeについて書いた。書かなければならなかったのだ。
それからポストロック、マスロックをより聞き始めた。LiteやNuito、Sigur Ros、American football、regaにMogwai、TTNG、Delta Sleep、Tortoiseなどを聞いた。今思うとMonoやEnvyといったハードコアよりのものはあまり聞いていなかった。そしてインターネットの検索履歴にはポストロック、マスロックで埋め尽くされた。
Corneliusと出会ったのもこの時期だ。その頃は音の綺麗さのみにフォーカスして音楽を聞いていた。その中で"Point"というアルバムは聞いたとき脳天と耳が一つになった。
CORNELIUS - ANOTHER VIEW POINT (2008 LIVE)
音像の綺麗さ、不思議さからRei HarakamiやSerphといったエレクトロニカも少しずつ聞き始めた。掘り下げるのは大学に入ってからになる。
聞いてきた音楽から分かるようにその頃は全く人の声や歌詞といったもの興味がなかった。むしろ邪魔だと思っていたくらいである。使っていたiPodにはインストばかりが占めていった。あれだけ好きだったBumpは削除した。悪いとがり方をしていった。今思うと何と虚しい、視野の狭い大馬鹿者である。そこに気づくのはもう少し後になる。
まったく視野の狭い人間であった。他の人が好きなものには必ずそこには理由があるわけで、その事を知ろうともできなかった。恥が多いものだ。では今は完璧に理解しているかと問うてみても否である。恥が多いのは別に昔のことだけじゃない。今も恥を上塗りしている。ただ自覚しているかいないかとは大きな違いであるとも思っている。成長と呼んで差支えないと信じている。
ナンバーガールにある夏出会った。その時から何故かナンバーガールは聞き続けていた。刺さった。事故的にだ。17歳になる少し前だった。
Number Girl - YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY KNOWING (Live at SHIBUYA ROCKTRANSFORMED)
この頃からやっと視野が広がった気がする。ロックが何かはいまだにわからないが好きであることに気づいた。そして大学に入る。
聞いていたアーティスト
Toe ,People In The Box ,The Sea And Cake ,Nuito ,Lite ,Cornelius ,TTNG ,The Band Apart , Number Girl ,Tricot ,Radiohead ,Aoki Takamasa ,rei harakami 等々
18歳~
大学の軽音に入った。ロックがしたかったからだ。高校生の時には軽音楽部に入っていなかったので期待していった。が話があまり会う人がいなく、期待が大きすぎたことにようやく気付くのと同時に、自分がある種の音楽オタクであることにようやく気付いた。それを言われたときに腑に落ちた。話が合わない訳だ。感じていた疎外感の意味を理解してとても楽になった。
そしてこのグループの中にもやはり自分のような人がいて仲良くなった。いい音楽をシェアするようになった。ある先輩からは様々なロックを聞かせてくれた。さすがにアクモンやオアシスは知っていたが、そこから先の色々なジャンル、サイケ、ガレージ、UKその他もろもろを聞いた。他の友達からはいいビートメイカーやマイナーすぎるバンドを教えてもらった。この出会いは見る景色を広げられた気がする。
またエレクトロミュージックも少しずつ聞くようになった。Aphex TwinやFlying Lotusといった有名どころからどんどんいろいろ自分の好みを探していった。
ここで聞いているアーティストを書くのは割愛する。まだまだ変わってゆくだろうからだ。
ざっと振り返ってみた。羅列すると聞いている音楽が変化しているのはもちろんのことその背景にある考え方も変わってきているのだと月並みな感想を抱いた。
そしてこれは途中に過ぎない。今も変わり続けている。数年後これを見て全く違う趣味になっていたい。未来は僕らの手の中だ。