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音楽とか自分の経験したこと

ゆらゆら帝国 "空洞です"は何故名盤なのか?

 誰にもなぜ名盤と言われているのか分からないものはあるだろう。自分はビートルズのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandがいまいちピンと来ていない。

  

 

 その中で私は最近までゆらゆら帝国の”空洞です”というアルバムの良さというものが分からなかった。悔しかった。日本ロックの最頂点と言われているものが分からないのだから。

 

 ゆらゆら帝国自体は好きであった。3×3×3のガレージロックなサウンドも、ミーのカーのファズなサウンドであったり。ゆらゆら帝国自体オリジナルアルバム(メジャー後)として7枚リリースしているが全て系統が違う。それらは好きである。

 

 というより空洞ですも好きであったが一番である理由が見えてこなかった。お世辞にも派手ではないからだ。

 

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 その中でなぜ最後のアルバムである”空洞です”が一番の傑作であるのか。最近その意味が分かってきた気がするのでまとめてみたい。

 坂本慎太郎についてはこちら

 

nirnirnir.hatenablog.com


ゆらゆら帝国 『空洞です』

サイケデリック

  サイケデリックである。というのも、困るほどに平坦であるのだ。分かりやすく展開があるわけでもなく、リバーヴのかかったギターに、サックス。一発で来ている感じがする。

 

 でもその平坦ではあるのにも拘らず、フックがないわけではない。一般的な楽曲というものは曲の中でフックとなるような所やインパクトのある部分を作る。

 

 ただこのアルバムの曲は一曲すべてで一つのフックになっている。例えるならば大きな釣り針というのか、確実に我々の耳を刺す。そのため一部分を聞くと平坦ではあるがインパクトをのこし中毒性を感じるというものになるのだろう。そういった部分でサイケデリックと言えるのだ。

 

 

スカスカ

 このアルバムの良さを言うならば名の通り空洞なのだ。空洞。ただドーナツのように中身がないわけではない。むしろたっぷり一度ではとらえきれないんほどの情報量ではあるのだ。

 

 禅の世界では”無”と”空”というのは意味が違うらしい。そのことに少し近しさを感じる。というのもこの違いをざっくり暴論的に言うならば”空”というのは空間があるのであり、つまりは空があるのである。”無”というのはそこにないも概念すらないということらしい(深い話は自分も理解していないから勘弁していただきたい。)。

 

 この考えに近しい部分を受ける。空洞ではあるのだがその空洞があるのだ。ただのスカスカではない。何もないのではなくぽっかりと我々の思考出来る範囲の部分を開けてくれているのだ。そのためにより議論しやすか、受け継がれるものになっている。

 

物語性

    ここは疑うことができない。もちろんアルバムの中の曲という意味では疑うところはないのだが、もっと言うならば"ゆらゆら帝国"という作品の地続きさにも由来するだろう。

 

 

    これが凄いのだ。ガレージから始まった彼らの歴史というものが様々な変遷を経て最後空洞ですというものに繋がるという物語性。

 

 

    ある意味で言うならばこのアルバムはこのタイミングで無ければ生まれていないのだ。事実この作品を最後にゆらゆら帝国は完成しきってしまったという理由で解散をしている。そういう部分からいってもこのタイミングしかなかったのだ。そして"ゆらゆら帝国"が終わるのだ。

 

   

    

 

 

 

    日本語でロックをするという60年代からある歴史に挑んできた彼らである。ある意味でその議論を終結させたのだ。そう思えるほどの名盤であることが恥ずかしながら今日わかるようになった。