よく、NO MUSIC NO LIFEというポスターを見る。大体の人は聞いたことがあるだろう。
私は嘘であり、そして危険と思う。むしろ嘘であると祈っている。
私自身音楽が好きであることに疑いの余地は全くない。音楽を聴いたり楽器を弾いたりするということは生活の一部分になっているし、好きな音楽について時間をかけて書いたりもしている。
でも音楽がなくても別に生きていけるという自信があるし、もし音楽のない世界に生きるのならばほかに熱中できるものを確実に見つけているだろう(こんな事は100%ないため考えることはナンセンスかもしれないが)。
タワーレコードはこの言葉を生活や気持ちを豊かにするという理念でこの言葉を生み出したらしいが私には良くわからない。
私は音楽を聴くという行為の後に生活や気持ちが豊かになることはあっても、決して気持ちを豊かにするために音楽を聴くわけではない。それは全く意味が違うし音楽に対して求めることでない。自身の問題であるからだ。
音楽を生活を豊かにするために使う人間は別に音楽でなくとも救われる。なぜなら自分の人生を豊かにするための手段にしかなりえないからだ。
別に音楽を救済や精神安定剤として使うことに対して私は全く悪いと思うことはない。そういう人にとってNO MUSIC NO LIFEというのはあながち間違いではないのだと思う。依存関係といってもいいかもしれない。
私は音楽に対して救いを求めない。それは救いでないからだ。
NO MUSIC NO LIFEが仮に本当だとすると私が音楽を聴いているのが生きるためのようになる。私は私の意志で生きたい。そしてその期間のなかで自分の意志で音楽を聴きたい。また、聞くようにしている。
簡単にNO MUSIC NO LIFEと言うことはできない。其処には危険さが孕んでいる。