音楽には回答がない。そこがアーティストにとっては面白く悩ましい物であり、我々リスナーからすると真価を問われている所でもある。
台風を吹き飛ばすため、HOT LIMITでスラップしまくってみました
その中で分かりやすい指標である言わばテクニック主義が私は嫌いである。
嫌いというのか、残念な気持ちになってしまう。
運動会の徒競走かのように、ただ早くスラップをやるベースも、意味もなくタッピングをするギターも嫌いである。それを面白がることは分かる。ただ音楽とは分けるべきであり、また音楽と呼ぶにはあまりにも稚拙である。ニコニコ動画とかでベースでメロディを早く刻みながら弾くものに対してよくは思えない。
そしてこれを生み出しているのは確実に我々リスナーである。決して上で上げた人の責任ではない。一つの楽しみ方しかできないリスナーの責任なのだ。
上手さという分かりやすい基準だけで音楽を、物事を図ることはとてももったいない。そして先ほども述べたようにそのニーズがあるためにさっき言ったような人たちが生まれていくのだ。
巧さとは手段であり、目的ではない。
Victor Wooten - U Can't Hold No Groove BASS DAY '98
ベース界随一のテクニックシャンのヴィクターウッテンを見てほしい。言うまでもなくベースが上手だ。だが巧さを利用した音楽を生み出している。巧さが目的でない。
これは巧さが一種の狂いに繋がっている。狂気を感じることに畏怖を覚えるのだ。決して巧さではない。巧さは一種の指標でしかない。
我々は何かを投影したり想像することでその作品の良さを感じる。
もっと聞き手側もたくさんの指標を持つべきなのだ。その責任がある。
この考え方も多様な音楽の楽しみ方の一つでしかない。そして私自身も視野の狭いありきたりなリスナーの一人に過ぎない。もっともっといろんな曲をいろいろな楽しみ方で聞いていきたい。せっかく音楽を聞く趣味があるのだから骨の髄まで楽しみたい。