pp響く音

音楽とか自分の経験したこと

何物でもない自分は二回死ぬ

 何者ではないと気づいたとはいつだろうか。遅かれ早かれ気づいていく。レイアレンにも、カートコバーンにも、ホドロフスキーにも、岡本太郎にもなれない。なれない。

 初めは見ないようにしていた。60億分の1であるのだと疑いはなかった。それは間違っていた。ありきたりな人間であった。何者になるための努力も覚悟も欠落している中で当たり前の道筋。苦悩もない。ゆっくりと死ぬほかにない。

 何より、自分を傍観者として受け入れつつある。移り行くものを見て感じるのみだ。そこには残らない。ある段階にまで進むともう戻れもしないだろう。


Aphex Twin - Fingerbib

 その時ある意味で死ぬのだろう、ゆっくりとしたありきたりな死である。60億分の1より那由他ほど存在する死。物理的にまだ私は死んだことがないが、おそらく自分が自分の形を得れなくなることとして言うならば同義だ。

 当たり前だ。私は乳児であった。覚悟がない。土俵にも立っていないのだ。

 そしてもっと言うならば必死で多用な表現を使おう、何か知的に上手く自分を脚色している。この文を書いているのにも、だ。全くの無駄、無用、不適。寧ろ逆に作用している。哀れな文章、考えだ。微笑ましいのと寒々しいのは漸近線のように決して交わらない。

 いつか消えゆくこの自分を書かないと上手く死なないからこそここに供養する。嘘だ。まだ何か夢見ている。すぐにはできないだろう。同世代の成功してる人を見て嫉妬の渦に落ちる。成功の姿容しか見れていない。私は甘ちゃん、ステージにいない。

 夜は眠れない。でも何とか寝た後の朝私はただ腹をすかしている。ヨーグルトを食べる。昨日まで、今日の今まで思っていたことはぼやけていく。蛇腹のように行っては戻りを繰り返す。残るのは折り目のみだ。

 

 そしてまた数年が経った後にこの文を見て、恥ずかしさでもう一度死ぬるのだ。そしてひっそりとこの文は見られずに埋もれていく。そうすることで近づく。

 

 ここに私自身で2回殺すのだ