この歌詞が素晴らしいという話をよく聞く。たまたま某邦楽シンガーの感想を調べてみた。歌詞がいいーというコメントの多さにびっくりしてしまった。
私自身全く分からない。後になってここはこんなことを言っていたのかという時はあるが一回目で意識的には聞けない。というより聞かない。
やはりもうこれは個人の音楽の楽しみ方と言ってしまえばそこまでではあるものの私の持論として意識的に歌詞を最初から聞くことはもったいなさを覚える。
私は基本語感的に聞くようになっている。
そしてたまに無意識的に言葉が入ってくる、その瞬間に言葉は歌詞として昇華されていくのだと感じている。それは喉を使って話すのとは違う。文字でみるのとも違う。
[LIVE] Supercar - YUMEGIWA LAST BOY (Live Ver. from MORRIC)
ベタだがスーパーカーのYUMEGIWA LAST BOYを上げる。作詞家は石渡順二である。
夢際のラストボーイ 永遠なる無限 触れていたい夢幻
夢際のラストボーイ 永遠なる夢限 揺れていたい夢幻
崇いサポートの礼に 崇いサポートの礼に
崇い未来への礼に 自然と愛への礼に
固い誓いへの礼に 崇いサポートの礼に
崇いサポートの礼に 崇いサポートの礼に
音楽とは繰り返しであるわけでそれに沿って歌詞も繰り返されている。
これを見るとなんのこっちゃということになる。もちろんだ。歌詞だけで完結できないからこその面白さなのだ。
染みわたる。我々の体をろ紙として浸透してくる。ろ過されたものこそが我々に吸収されるのだ。
詩だけじゃダメなのだ。それは音楽ではない。
そういう意味で歌詞は聞くものではないと感じている。無論人それぞれではあるが。