「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と岡本太郎は言った。
そういう意味ならば彼の音楽(ここではあえてジャズとはしない)は芸術であると言えるだろう。
days of delightというジャズレーベルが主催の岡本太郎記念館で行われた松丸契さんのソロライブに行ってきた。
松丸契さんについてはホームページを読んでいただきたい。
ジャズのライブに行ったことはなかったので楽しみであった。
閉館した後の表参道にある岡本太郎のアトリエを改造した記念館の中で始まった。
今回は1時間丸々彼一人での演奏であった。サックスだけ、というわけではなく、ルーパーやコーラス、ディレイといったエフェクターなどの電子楽器などを取り入れてもいた。
初めは純粋にサックス一本での始まりだった。息使いまで聞こえるとは凡庸な例えではあるがまさにそうだった。一対一。目の前で静寂の中に我々のみがいた。
リズムも一定ではないしメロディーらしいメロディもない。当然コードが進行するといった概念すらない。フリージャズというのか。崩壊しきる前の音楽を奏で続けていた。
ここがとてもワクワクする。私は全くジャズを知らない。スタンダードな曲も知らない。だがその綱を渡るかの如く細く危ない音が私にはとても刺激的だった。
そして電子音楽のような、サックスの音をサンプリングして低音部分だけを抜き取っていく。まるでテクノのよう、ダブのようだ。
ここにアンバランスが生まれ、また綱渡りが始まる。一定のリズムを刻むはずのテクノミュージックの要素を全く無視をしてサックスを吹いていく。ディレイのかかったサックスの音が何重にも重なった。輪郭が見えなくなっていく。焦点が合わなくなるのでなく、焦点が増えていくのだ。
どんどんとドンドンと進んでいく。こんなに危ない音楽があるのかと思い汗ばんでくる。
所謂定型のリズムないしコードなどの分かりやすく区切られたものはポイントがあるしどの部分がどのような役割かが見えてくる。その中での絡みであったりリズムなどの音楽の要素になると言われている部分を咀嚼している。
この音楽はそのような解釈がない。自由と言ったら聞こえがいいがその分不親切とも言える。
その部分が"快"ではないと私は思った。この意味は決して"楽"とは違う。不親切さは白い部分でありそこを我々は演者を通して聞いて感じ取れるのだから。
芸術が何かとは全く分からない。その中で彼が奏でていたものは確実に快とは反対の方へ向かい、そして芸術と呼ばれる分野に近づいていると私は感じた。
そして一番世界で危ない音楽がジャズであると言えると思った。心地が良いものではない。その精神性に岡本太郎由来の場所ということもあり、リンクしたのだ。
この様な体験を出来たことは私にとってとても糧となると帰る道で思った。