Corneliusのアルバム全曲の感想を、"point"に続いて次は"SENSUOUS"をしたいと思う。
前回のはこちら
Sensuousとは
2006年にコーネリアスが出した5枚目のアルバム。前作の"point"に比べて音の情報量が多くなっているために音質が大幅に変わっている。
このアルバムのテーマとして「細分化」というのがある。その説明はまた後に(2曲目の"Fit Song"や11曲目の"Music"などでその思ったことについて書いて)あるので省略する。
では全曲の感想を書きたい。
1. sensuous
アルバムと同じタイトル。音を流れの脈絡がないような感じで並べるところが面白い。ベルが印象的。
そして最後にどんどん音が低くなっていく。最終的には弦のビビっている音に変化していきダーンとなる。音の満ち引きというのか衰退が表されていて感慨深い。
2. Fit Song
CORNELIUS - FIT SONG (ULTIMATE SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW)
ギターのカッティング音がメトロノームのように一定のリズムを刻む。ハイハットやらベースが入ってくる。ただそれがいわゆる頭から入るといったものではない。もっと細かいというのか、因数分解されきった限界まで分かれた項のようになっているのだ。
そしてボーカルも入ってくるのだがこれも所謂歌とは違う。単語の連呼になっているのだ(「break」であったり「drop」であったり)。
音楽という文法をより分節に分けて最小単位として消化しているようでありこのアルバムを象徴する一曲になっている気がする。
3. Breezin'
こちらもFit Songのようなボーカルの言葉を単語で切っている。そこに歯ごたえが生まれていていい。
ただFit Songと違う点としては先ほどのよりストイックでないということである。これは決して欠点なのでなくあえてゆとりがあるからこその癒しが生まれている。
4. Toner
ピアノの鍵盤の音とエレクトロのユーモラスさが合わさっている。耳が洗われるようなあでやかさがある。
5. Wataridori
ディレイのような深みにはまれる一曲。すべての音がやまびこのように返ってくる。そして次々に音が流れ込む。どこを聞いていたのか分からなくなる。でもその感覚が安らぐ。
深みに落ちると抜け出せない、そんな7分になっている。
6. Gum
CORNELIUS - GUM (ULTIMATE SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW)
やっぱり単語になっている。さらにライブになると一文字一文字をメンバーと分担して言っている。
ハード目のサウンドになっていてライブだと筋力プレーのようになっていて結構激しさがあって人間味を感じることができる。
7. Scum
ギター自身はカントリーのような懐さがあるがバグったような音になっている。箸休め。
8. Omstart
今迄の単語に分けているような歯切れの良さはなく、むしろ伸び切っている。これを単体で聞いているとあまり面白みのないものになるがこのアルバムにあることでのコントラストによってよりこれまでの魅力を引き出している。
9. Beep it
全曲からシームレスになっている。何古やら古さを感じるシンセになっている。ただこのまま懐メロになりはしない。
短いギターのフレーズなのかディレイなのかわからなくなるほどに流れ込んでくるコーネリアス感といい、ただのポップにない歪さが好きなのである。
10. Like a Rolling Stone
聞く前はかのボブディランの名曲かと思ったが違う。音がまるでドミノを倒すかのように進む。そして鉄の糸を引っ張るような爽快感がある音になっている。
曲というよりは心地の良い音を集めて続けて流している、ヒーリング効果がありそうである。ケアルだ。
11. Music
実質的に言うとこれがアルバムの最後の曲といっても差し支えないだろう。
この曲にも彼がこのアルバムで挑んできた音楽の細分化というものを込めている。フレーズというと一小節単位で考えられることが多い。だが彼のこのアルバムにはそのような感覚を受けず、より細かい音価によって一つのフレーズが構成されているのだ。
そのためにディレイを多用していたり短いフレーズを切り張りする(サンプリング的な)手法を多く用いている。これがこのアルバムでの最大の取り組みであると私は考える。
この曲によってその取り組みがはっきりすることと同時に小山田圭吾が音楽のお表現者であることがより鮮明に浮かび上がるのだ。
12. Sleep Warm
最後の曲である。この曲はカバーであるのだがとてもメロウになっている。次作の"Mellow Waves"につながるようだと今だと思える。
そして最後にはベルが鳴る。一巡するのだ。
Sensuousというアルバムにおいて彼は音楽という文法を限界まで細かくすることに尽力したのだ。その取り組みは今聞いても面白い。思想が高次元で反映されているものは時がたっても決して朽ちないのだろう。